Kearifan Lokal dari Mitos ”Namazu” sebagai Penyebab Gempa Bumi di Jepang
Nihon De No Jishin No Eikyou To Shite No “Namazu”No Shinwa Kara No Jimoto No Eichi
Abstract
Namazu adalah makhluk mitologi berupa Ikan berukuran besar yang ada di
bawah tanah yang dikaitkan dengan gempa bumi di Jepang tepatnya di sekitar
Danau Biwa, Chikubushima dan kemudian menyebar di wilayah Kanto. Mitos
namazu muncul pada Oktober tahun 1855 seiring dengan gempa besar yang
mengguncang kawasan Edo. Gempa menewaskan ribuan orang. Dari peristiwa
tersebut, Dewa Khasima telah berusaha keras untuk menahan Namazu dengan
batu raksasa.
Gambaran Namazu dikenal sejak abad kelima belas, namun hanya pada
akhir abad kedelapan belas ia menjadi terkait dengan bencana alam. Pada periode
Tokugawa (1603-1868) namazu itu adalah dewa sungai yang terkait dengan banjir
atau hujan deras. Dia bertindak sering sebagai firasat bahaya, memperingatkan
orang-orang dari malapetaka yang akan segera terjadi atau menelan naga air
berbahaya, mencegah bencana lebih lanjut. Naga itu adalah simbol yang sangat
tua dan kuat, diimpor dari China, dan dianggap sebagai penyebab utama berbagai
jenis bencana, termasuk gempa bumi. Selama abad ke-18 Namazu raksasa secara
bertahap menggantikan naga dalam perannya sebagai pembuat kejahatan.
Perubahan dari naga ke Namazu ini kecil, karena naga juga dikaitkan dengan air
dan sungai. Oleh karena itu dianggap terkait erat dengan mitos namazu.
Selama abad ke-19 dan terutama setelah gempa Edo (Tokyo modern) pada
tahun 1855, kesalahan Namazu dianggap lebih merupakan penghukuman terhadap
keserakahan manusia, karena diyakini bahwa namazu dengan menyebabkan malapetaka memaksa orang untuk mendistribusikan kekayaan mereka sepenuhnya.
Namazu dikenal sebagai yonaoshi daimyojin, “dewa pembetulan dunia”
Namazu dipercaya hidup di bawah tanah yang berada di Provinsi Hitachi
yang saat ini dikenal dengan Ibaraki di utara Tokyo. Satu batu bernama Kanameishi
menahan Namazu agar tidak bergerak. Berat batu lama - kelamaan tidak bisa
lagi menahan gerak Namazu, sehingga Dewa Khasima harus menekan terus batu
itu. Namun setiap bulan kesepuluh tiap tahunnya, Khasima harus ke selatan
Jepang bertemu dengan para dewa lainnya. Tugas menjaga Namazu diserahkan
kepada Dewa Ebizu (Dewa keberuntungan). Akan tetapi, Dewa
Ebizu tidak mampu menahan gerak Namazu. Mitos namazu muncul karena
pengaruh kebudayaan Cina dan kepercayaan Kepada para Dewa. Selain itu Mitos
Namazu juga muncul karena masyarakat Jepang zaman dahulu mengamati
perilaku abnormal pada namazu sebelum terjadinya gempa bumi dan tsunami.
Dengan adanya mitos namazu tersebut, masyarakat Jepang akan lebih
berhati-hati. Karena mitos Namazu tersebut adalah sebagai penanda bahwa akan
terjadinya gempa bumi. Setelah adanya mitos namazu tersebut, masyarakat
Jepang dapat menjaga hubungan dengan ekosistemnya (lingkungannya), baik itu
manusia dengan manusia, manusia dengan hewan, maupun manusia dengan
Tuhannya (Dewanya). Hal inilah yang membuat masyarakat Jepang bekerjasama
melakukan ritual atau memberi sesembahan untuk Dewa Khasima agar sang
Dewa selalu menjaga alam supaya tidak terjadinya bencana gempa bumi.
Dilihat dari salah satu fungsi kearifan lokal yaitu kearifan lokal sebagai
petuah, kepercayaan, sastra, dan pantangan. Kearifan lokal dari Mitos Namazu
dikaitkan dengan gempa bumi dan hubungannya terhadap Manusia, Alam dan Dewa. Apabila pemilik rumah meletakkan lukisan namazu di dinding rumah,
maka kebahagiaan pun akan berpihak kepadanya. Karena masyarakat Jepang
menganggap namazu itu adalah Dewa. Kemudian di depan rumah di letakkan
bebatuan agar tidak terjadi sesuatu yang sangat membahayakan pemilik rumah.
Sebagai makhluk ciptaan Tuhan Yang Maha Esa, kita sebagai manusia harus
percaya juga terhadap mitos, karena mitos itu sejarah turun-temurun dari nenek
moyang. Walaupun mitos itu tidak fakta (opini), setiap negara pasti memiliki
mitosnya masing-masing yang wajib dipercaya.
Masyarakat Jepang dalam hal ini sangat tenang dengan adanya mitos
namazu tersebut. Karena namazu ini adalah sebagai penanda bahwa adanya
gempa bumi atau tsunami. Walaupun begitu, masyarakat Jepang harus selalu
berwaspada, karena belum tentu juga sepenuhnya percaya dengan aktivitas
namazu. Dikarenakan Jepang adalah negara yg rentan akan gempa bumi. Sedia
payung sebelum hujan, lebih baik berwaspada sebelum terjadinya sesuatu yang
tidak baik. 日本での地震の影響としてのなまずの神話からの地元の英知
なまずは地下
ちか
にいる大
おお
きい魚
さかな
の形
かたち
をしている神話的
しんわてき
な生物
せいぶつ
で日本
にほん
の地震
じしん
に関連
かんれん
していて性格的
せいかくてき
には琵琶湖
びわこ
と竹生島
ちくぶしま
の周
まわ
りで、そして
関東地方
かんとうちほう
に普及していた。なまずの神話
しんわ
は江戸
えど
で起
お
こった大
おお
きい地震
じしん
と共
とも
に10
10
月
がつ
1855
1855
年
ねん
に現
あらわ
れた. 地震
じしん
で何千人
なんぜんにん
の人々
ひとびと
がなくなった。その件
けん
から、
鹿島
かしま
の神は頑張
がんば
って大
おお
きい石
いし
でなまずを引
ひ
き止
と
めようとしていた。
なまずの映像
えいぞう
は15
15
世紀
せいき
から知
し
られていたが、18
18
世紀末
せいきすえ
に自然災害
しぜんさいがい
に
関連
かんれん
するようになった。徳川時代
とくがわじだい
になまずは洪水
こうずい
と大雨
おおあめ
に関連
かんれん
している川
かわ
の神
かみ
である。危険
きけん
な予感
よかん
として行動
こうどう
し、すぐ起
お
こる災害
さいがい
から人々
ひとびと
を注意
ちゅうい
し
たり危険
きけん
な水龍
すいりゅう
を飲み込
こ
んだりして、さらなる災害
さいがい
を防
ふせ
ぐ。龍
りゅう
は非常
ひじょう
に
古
ふる
くて強
つよ
い象徴
しょうちょう
で、中国
ちゅうごく
から輸入
ゆにゅう
され、地震
じしん
を含
ふく
めて様々
さまざま
な災害
さいがい
の
原因
げんいん
だと思
おも
われている。18
18
世紀
せいき
の間
あいだ
、巨人
きょじん
のなまずは徐々
じょじょ
に犯罪者
はんざいしゃ
とし
て竜
りゅう
の役割
やくわり
を置
お
き換
か
えた. 龍
りゅう
からなまずへの変更
へんこう
は小
ちい
さい、なぜなら
龍
りゅう
も水
みず
と川
かわ
に関連
かんれん
している。それで、なまずの神話
しんわ
に密接
みっせつ
に関連
かんれん
してい
ると思
おも
われる. 19
19
世紀
せいき
の間
あいだ
、特
とく
に1855
1855
年
ねん
に地震
じしん
の後
あと
、なまずの間違
まちが
いは人間
にんげん
の
欲望
よくぼう
に対
たい
する罰
ばつ
だと思
おも
われた。なぜならなまずは災害
さいがい
を起こすことで人間
にんげん
に富
とみ
を完全
かんぜん
に配布
はいふ
させると信
しん
じられているからである。なまずは世直
よなお
し
大明神
だいみょうじん
としてしられている.
なまずは東京
とうきょう
の北
きた
にある現在茨城県
げんざいいばらきけん
として知
し
られている日立県
ひたちけん
の
地下
ちか
に生
い
きていた。要石
かなめいし
という一
ひと
つの石
いし
は動
うご
かないようになまずを引
ひ
き
止
と
めた。石
いし
の重
おも
さは段々
だんだん
なまずを引
ひ
き止
と
めることができなくなり、それで
鹿島
かしま
の神
かみ
はその石
いし
を押
お
し続
つづ
けなければならなかった。しかし、3
3
年
ねん
ごとの
10
10
月
がつ
に、鹿島
かしま
は日本
にほん
の南
みなみ
に他
ほか
の神
かみ
に会
あ
いに行
い
かなければならなかった。
なまずを監視
かんし
する任務
にんむ
はえびすの神
かみ
に任
まか
せられた。しかし、えびすの神は
なまずの動きを引き止めることができなかった。なまずの神話
しんわ
は中国
ちゅうごく
の
文化
ぶんか
と神様
かみさま
への信頼
しんらい
の影響
えいきょう
で現
あらわ
れた。その他
ほか
、なまずの神話
しんわ
は、古代
こだい
の
日本社会
にほんしゃかい
は地震
じしん
と津波
つなみ
が起
お
こる前
まえ
に、なまずの異常
いじょう
な行動
こうどう
を観察
かんさつ
したから
現
あらわ
れた。なまずの神話
しんわ
が存在
そんざい
することで、日本社会
にほんしゃかい
はもっと気
き
を付
つ
けるよう
になる。なぜなら、そのなまずの神話は地震が起こるというサインである。
なまずの神話
しんわ
が現
あらわ
れたあと、日本社会
にほんしゃかい
は、人間
にんげん
と人間
にんげん
、人間
にんげん
と動物
どうぶつ
、
人間
にんげん
と神様
かみさま
、生態系
せいたいけい
「環境
かんきょう
」との関係
かんけい
を維持
いじ
することができる。このこ
とが日本社会
にほんしゃかい
に協力
きょうりょく
して儀式
ぎしき
をさせたり、地震
じしん
が起
お
こらないように鹿島
かしま
の神
かみ
がずっと自然
しぜん
を守
まも
るように、鹿島
かしま
の神
かみ
に贈
おく
り物
もの
を送
おく
らせたりした。
英知
えいち
の一
ひと
つの機能
きのう
から見
み
ると、宗教的助言
しゅうきょうてきじょげん
、新年
しんねん
、文学
ぶんがく
、禁止
きんし
と
しての機能
きのう
がある。なまずの神話
しんわ
の英知
えいち
は地震
じしん
とその人間
にんげん
、自然
しぜん
、神様
かみさま
と
の関係
かんけい
に連携
れんけい
していた. 家主
やぬし
が家
いえ
の壁
かべ
になまずの絵
え
をかけたら、幸
しあわ
せも
味方
みかた
にしてくれる。日本社会はなまずは神様だと思っているからである。
そして、家主
やぬし
に危険
きけん
なことが起
お
こらないように家
いえ
の前
まえ
に岩
いわ
を置
お
いた。神様
かみさま
の生
い
き物
もの
として、私
わたし
たちは人間
にんげん
として神話
しんわ
を信
しん
じなければならない。な
ぜなら神話
しんわ
は祖先
そせん
からの世代
せだい
から世代
せだい
までの歴史
れきし
だからである。神話
しんわ
は
事実
じじつ
ではなくても、各国
かくくに
は信
しん
じなければならない神話
しんわ
がを持
も
っている。日本社会
にほんしゃかい
はこのことでなまずの神話
しんわ
が存在
そんざい
することで非常
ひじょう
に冷静
れいせい
で
ある。なぜならこのなまずは地震
じしん
と津波
つなみ
が起
お
こるサイン
さいん
だからである。そ
れでも日本社会
にほんしゃかい
はずっと注意
ちゅうい
しなければならない、なぜならこのなまずの
行動
こうどう
を完全
かんぜん
に信
しん
じるとは限
かぎ
らない。日本は地震が多くある国だからである。
雨
あめ
が降
ふ
る前
まえ
に傘
かさ
を準備
じゅんび
することだ、悪
わる
いことが起
お
こる前
まえ
に注意
ちゅうい
した方
ほう
がい
い。
Collections
- Undergraduate Theses [525]